変わりゆく時代に変えてはいけないもの

2022/04/01

 先日、所用のついでに少し足を伸ばし、母校の大学に立ち寄ってみた。高3の時、もともと浪人するつもりだった私は、あくまで『お試し受験』のつもりだった。失礼ながら地元から遠く離れた(田舎の)大学に入学するつもりはさらさらなく、まさか母校になるとは夢にも思っていなかったのだが…それからうん10年、いつのまにか、わざわざ寄ってみようと思うほどの”愛校心”が育まれていた。当時のメインストリートは大層立派なトンネル状の銀杏並木道(季節柄葉は落ちていたが)へと成長しており、時の流れを感じたが、一方で足繁く通った定食屋のレバニラ定食、金欠をしのぐために釣りをした川は当時のままであった。
 我々が学生〜若手医師と呼ばれた時代、親世代を中心に「良い会社に入ること、そのために良い大学に入ること、それがゆたかな人生だ」という価値観の人が多かった。医師という職業も”良い会社に入る”と同義、あるいはそれ以上のステータスだったのかもしれない。しかし、時代は変わった。終身雇用はなくなり、年金は減った。人口構成は変化し、当たり前だった社会全体の仕組みは、当たり前ではなくなった。医師の仕事ですら、いつAIに取って代わられるかも分からない。かつて”みんなと同じように”を求められていた子供達、そして社会人も、”いかに個性や独自性を打ち出せるか”と180度求められることが変わった。
 さらに、SNS、インターネット、情報番組のパネリスト、〇〇専門家、YouTuber etc.  種々の媒体から様々な情報が溢れる現代。当たり前だが、政治や経済、コロナに芸能人の不倫問題まで、思うところは人によって違う。耳に目に、入ってくる数多くの情報をそのまま信じていいのか、自分の意見として取り入れていいものかどうか、情報を吟味し、取捨選択する必要がある。そのためには、それを判断するだけの”知識”をつけていくことが大切だ。昨今のウクライナ情勢とその背景、”知識”を得れば、『遠い異国の他人事』ではなく、大いに『自分事』であることに気付く。日常を守り、ゆたかにするために、「学び続ける」ことが大切な時代なのだ。
 あまり勉強した記憶のない医学生時代、『医者は常に学び続けなければならない』と言われていたことをふと思い出した。自分をはじめ、周囲を見渡してみても、歳をとるごとに頑固になりがちだ。学びの姿勢、他人の意見に耳を貸す(受け入れるかどうかは別として)柔軟な姿勢は忘れたくないものだ。

(神戸市T・S)